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zoom RSS イタリア統一広場

<<   作成日時 : 2014/02/16 00:15   >>

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”とくに支配層に属さない大多数のトリエステ人にとって、イタリア統一運動がさかんになった十九世紀末には、一日もはやくオーストリアの隷属から解放され、イタリアに帰属することが精神の支えになった。じっさいにイタリア領になったのは第一次世界大戦のあと、一九一九年のことで、解放運動では多くの犠牲者を出している。”
    (須賀敦子『トリエステの坂道』/トリエステの坂道)




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トリエステの街の中心の、海に面した広場に
「イタリア統一」の名を冠するのは、
この街の歴史的立場を如実に表しているのだろう。
太陽に直射された明るい石畳の上を、
遊ぶ子供たちと、憩う観光客の光景は、どの国の広場ともそう変わらないが。




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それにしても、イタリアが個性的な小国が集まって成り立ったことは、
頭の中では理解しているが、その成立は19世紀ということに、改めて驚く。
イタリア半島統一の完了は1870年。
トリエステなどの街がイタリア領になったのが1919年。
周辺を強大な国々に囲まれながら、どんな歴史を過ごしてきたのだろう。
イタリアへの興味が、次第深くなる。

     Sep13     Trieste/ITALIA




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コメント(4件)

内 容 ニックネーム/日時
トリエステという街はわたしにはなじみが薄いですが、そのような場所に「イタリア統一広場」なんてものがあるとは〜。
わたしの薄い知識によりますとローマ法王アレッサンドロ6世(6世だと・・)の息子チェーザレ・ボルジア(もちろん息子などいないはずですが)がイタリア統一を夢見てたのがルネッサンス時代ですよね〜。300年以上かかってしまうんですね〜〜〜。
くろねこ・ぷぅ
2014/02/17 11:30
>くろねこ・ぷぅさん
なるほどなるほど。
日本が江戸時代を過ごしている間、イタリアは都市国家の集まりのままだったということですよね。
ボルジアさんは秀吉や家康には成りそびれた、と。
ん?違います?
なお
2014/02/21 01:06
調子に乗ってお返事かきますー。お許しを〜。

チェーザレ・ボルジアはイタリア全土をわがものに!の直前、父である法王とともに伝染病にかかっちゃうんですわー。アレッサンドロ6世は神の代理人だっちゅうのに、ルイ14世のように腐敗して死んじゃうのです。
悪いことするといい死に目を見ないの典型的な例ですね。
一方、息子は病から回復して戦場へ出て、そこで戦死・・・のはずです。
マキャベリの「君主論」のモデルになった人です〜。
サガンの「ボルジア家の黄金の血」、塩野七生の「神の代理人」「チェーザレ・ボルジア-あるいは優雅なる冷酷」をわたすは読みました。
現在は漫画になってもいるようです〜。なおさんをもトリコにしますよー。
くろねこ・ぷぅ
2014/02/22 10:45
>くろねこ・ぷぅさん
おお〜、お返事ありがとうございます。
劇的な人生が窺い知れますね〜。
気になるので是非読んでみます!
なお
2014/03/01 01:24

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