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help リーダーに追加 RSS 「恋するように旅をして」

<<   作成日時 : 2009/01/15 01:42   >>

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沢木耕太郎氏のカテゴライズによると、世界には勝手に周囲で事件が発生してしまう巻き込まれ型の国と、旅人が働きかけなければ何もおこらないほっとかれ型の国がある。
東南アジアや南米が前者の典型で、ヨーロッパは後者。
そして角田光代さんはアジアを旅する人で、ヨーロッパ系の私とはタイプが違う人だ。

そのせいだろうか、角田さんの旅の仕方が、今一つぴんとこない。
雑誌類によく短い文章を書いていらっしゃるが、そういうエッセイから受ける印象は、素直で、装飾も少なく、世界をありのまま受容して紙に写したようなわかりやすさだった。
しかし一冊の本になると印象が変わる。何かチクチクした感じが行間に入ってくる。
同じ作者の『対岸の彼女』を貸してくれた同僚が言っていた、「この作者って、我が強そうな感じですね」という感想に、私もうなづいた。
そうだ、我が強い感じ。好き嫌いがはっきりしている感じ。
仲間と笑っていても、芯では笑っていなくて、つられ笑いではなくつきあい笑いをしている感じ。
世界を受容している、とは違う。視覚は丸呑みしているが、その後は選別と批評が行われているのだ。

アジアを旅するけれど、角田さんは旅先と交じりあわない。
地元の交通機関を使い、安宿に泊まるけれど、相手の国をよく調べないし、日本人とつるんでいたりする。
交じりづらい言語、英語を使う。アジアやアフリカではまだフランス語の方が通りがよいのに。
(因みにヨーロッパでも、英語以外にフランス語とスペインかイタリア語で挨拶くらいできると、全く勝手が違ってきます。閑話休題。)
不思議だ。巻き込まれ型の国をわざわざ選んでいるのに、歩みよっている印象がない。

時折「私はどこに行くんだ」「私は何をしたいんだ」という文章が表れるのも不思議だ。
余所からはっきり浮き上がった自我を持っているのに。好き嫌いをはっきり選別しているのに。
まるで中田英寿君が「自分探しの旅にでる」と聞いた時感じた違和感みたい。
あの時も、えっ自分探し?自分にあう場所探しじゃなくて、自分を探しているの?と思ったものだ。
角田さんの場合は、場所を探しているのでもないらしい。
自分で行き方を調べない、現地で通じる言語を話さない、という否の選択を自分自身でした結果、どこに向かっているのかわからない事態になる。
それだけ否の我を通していながら、自分は何をしているのか、どこにいくのか…という問いが、何故湧くのだろう。

「恋するように」という題名も不思議だ。
「恋」という言葉から想起される熱っぽさが、この本にはない。
むしろ、いしいしんじ氏があとがきに書いている「角田光代さんは、散歩をしに外国にいっている」という一文の方が、端的にこの本を言い表している。
そうだ、散歩。周囲を見渡しながら歩く。それなら角田さんのやっていることと一致する、と納得がいく。
でも「恋」と「散歩」の間の隔たりは埋めがたい。
いや、これが恋なんだ、というのなら…結構怖い女性だな、と思うのである。
陶酔することなく、芯では冷静に状況をみている。交じりあわず、常に自分と相手を対照化している。一ヶ所に留まらず、新しい土地へ流れてゆく。

怖いと思いながら、私は自分とは違う、理解し難いこの女性が、気になってしかたないのだ。
「理解しあうということは、あきらめや戦いに似ている」と言ってた人もいたっけ。
多分これからも時々、角田光代さんの本とは戦うことになるのだろう。

ところで『対岸の彼女』の方は、とても読みやすい小説だった。
テーマも明確で、上手くまとまってるなぁ、賞をとる本はやっぱり違うもんだな、と思った。
『恋するように旅をして』のわからなさは、構成のバラバラさにも因るのかな?と思ったりもする。



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